Photo by Ujin Matsuo

細君の示唆

paintings, sculpture, 2018


日程:2018年1月28日(日) - 2月3日(土)
展示:9:30-17:30 (入場は17:00まで)
最終日のみ9:30-12:30 (入場は12:00まで)
会場:東京藝術大学(東京都台東区上野公園12-8)

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「展示に寄せて」

ここに展示している絵は、すべて気まぐれの産物です。
下書きもせず、手元にあった絵の具と筆を使って描きはじめて、
気に入ったか気に入らないか、または気に入りそうか気に入らなそうかが絵を描き進める際の全ての判断のもとになっています。

アトリエの掃除をしなかったりパレットを換えなかったりすると、絵の中の色は濁っていきます。反対に、真っさらなパレットにお手本のように基本色を出してみて、おにゅうの筆を使うときは絵はちょっと派手になりすぎてしまいます

一番いいのは適当です。
パレットもほどよく、部屋の状態も程よい、「これが日常だな」というような時が描きどきです。でもそれを下手に意識してはいけません。さらに言えば、この日は一日中制作しようと決め込みすぎず、かといって大事な予定も他にない日、そういう日が一番良いのだけど、そういう日は一年でそんなに多くはないから大変です。


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去年の4月から、中高の同級生とその友人がルームシェアをしている家に部屋を借りて、そこをアトリエにしました。
そこで制作を始めて9ヶ月、未だに出来があった絵一つ一つが何なのか、よく分かっていません。気まぐれで描いてるから。

自分の知らないものが出来上がっていく過程は面白いのだけど、時折心に尋常じゃないほどの不安が襲ってきます。だけど身体の方はというと、これまでと比べものにならないほどに充実しています。だからやっぱり絵を描くのが良いのだ、という風に思い直して、制作を続けています。

前に絵を見てくれた先輩が「じゃあ(これらの絵は)ほとんど感性の領域なんだね」と言っていて、たしかにそうなのかもなと思ったりします。そうやって辛うじてコミュニュケーションを取れるぐらいには、これらの絵には絵の具がついている…。

それでいうと、ぼくが今まで発表してきたどの作品も、誰かしらの心に届いていることが不思議で仕方ないです。一度情け無く思うほどにうまくいかなかった作品を発表したときがあって、アート関係(?)の誰にも見向きをされなかったのだけど、わざわざ1人の女性が「あなたの作品がとても良かった」と伝えに来てくれたことがありました。
そういうことがあることって、本当になんなんだろう、と思います。
それで、その女性の言葉をもらったときから「構造と細部」という言葉が頭をめぐるようになって、そしてそれからは、細部のことを考える頻度が増していきました。

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去年、芸大に物理学者の佐藤勝彦さんが講演をしにいらっしゃった時にこんなこと言っていました。
「なぜわたしたちはこんなにも自由なのか?これは物理学やAIの問題に大きく関わっていると思う。」

私たちは法則やルールに従って生きているのだけど、いつでも「そうじゃない」ことを思い浮かべることができます。不思議と。

そういう不思議が自分の思考にどんどん入り込んできてようやく、絵を描く理由がぼんやり浮かんできました。
もともとのぼくは、現実が「そう」であることに馴染めなかったから絵を描いていたのです。退屈な授業中に描くノートの落書きや、帰りのバスの窓の結露に描く指文字のように。
馴染めないから描く、これが絵を描く理由です。

だからこの9ヶ月の気まぐれは、これまで勉強してきたアートの法則の隅に描いた落書きです。自分なりに呑気に「そうじゃない」世界を歩き回った成果として、ここに発表します。


 

(展示会場に置いた小冊子より)

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