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ものがたりのために、生活したいな。
talk event, 2016
このイベントは、神奈川県横浜市にあるblanClass(ブランクラス)というオルタナティブ・スペースで行われたもので、アーティストである野本直輝(当時blanClassのスタッフだった)の企画「シリーズ〇〇のかたちを探す」の2回目のゲストとして参加した。イベントの概要は以下の通り。
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1. 僕以外(野本、来場者)の人でグループLINEをつくってもらう。
2. 奥、野本によるトーク/ 野本と来場者のグループLINEでの会話
3. グループLINEの会話画面をプロジェクターで投影し、そこでの会話を振り返る
4. 来場者とのディスカッション (合計約2時間)
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イベントは前半は奥と野本によるトーク、後半は来場者を含めたディスカッションの二部構成とした。ただ前半のトークは通常のトークと違い、一つの仕掛けを設けた。それは、前半のトークを始める前に僕以外(野本、来場者)の人でグループLINEをつくってもらい、トーク中に野本と来場者にはLINEの中でも会話をしてもらうというものだった。通常、トークやイベント中に来場者がスマートフォンをおおっぴらに操作することはないが、今回はトークというパブリックな対話空間に、プライベートなおしゃべりが侵入するとどうなるか?という実験をしたかった。それはトークの内容にも関わってくる。今回のトークは好き好んで観ていたテレビドラマや旅で感じたことを間に紹介しながら、自分の制作活動について順を追って話していき、そのトークを通して、僕自身が美術を始めた頃に美術に抱いていたイメージと、活動や発表をしていく中で見えたきた現実とのズレについて考えたかった。ここでいうズレとは、現在の美術シーンにおいて顕著な、「芸術の有用性」を問う流れや「ソーシャルエンゲージドアート」の流行といったシリアスな雰囲気に僕自身が疲弊してきたことで生まれたものだ。僕が制作をし始めたときは、純粋に表現することの喜びや、日々の生活のなかで見出す様々な発見を、キャンバスに描き止めたいという欲望がモチベーションになっていた。それが、自分の美術家としてのキャリアを積み上げていく過程でだんだんと見えない社会の要請に縛られ、ついには「芸術の有用性」を主張するまでになってしまった。この状況に対して危機感を覚えた僕は、「無駄」を許容する芸術の多様性が垣間見れる空間をつくろうとした。
しかし、これはやってみて気づいたことだが、トークの目の前でスマートフォンの通知音が響き、僕からは見えない場所で僕の話がされているという恐怖があった。テレビのニュース番組でよくある「Twitterに意見や感想をつぶやくと、テレビ画面に反映される」あれや、ニコニコ動画のコメントなどに近い関係性が生まれていた。この時に感じた「無言の圧」のような恐怖感は、今回のイベントのテーマとはズレたもので、自分が当初考えていた公/私がゆるやかにつながる場にはならなかったのかもしれない。
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