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日々の断片②

第2回


日々の断片、2回目は最近読んでいる本についてです。あいかわらずテレビドラマにこだわっているので、ユリイカのテレビドラマ特集や木皿泉さんの著作を読み漁っているのですが、それとは別に、旅とか風景に関連する本を読むことが多くなっています。

1年半ほど続けていたバイトを辞めて、GWに東北に行くことを決めていた4月頃から、いや、今年1月の武蔵野美術大学の修了制作にあった、震災で変わり果ててしまった場所が舞台の映像作品や、作者の故郷(秋田)を描いた絵画作品を観たころからかな。「まだ見ぬ場所」や、「失われた場所」について僕はどう思いを馳せることができるのか?ということを考えるようになりました。こうした思考のなかで本を読んだり旅をしたりしたおかげで、自分が日頃いる場所から遠いところの、なにやら息づかいのようなもの。そういうものを感じることができているような気がします。そんな気がしてくると(たとえそれが勘違いだとしても)、心は軽やかになったり、逆に慎ましい気持ちになったりします。これは自分の心を良い場所に持っていけてる証だと思います。

- ドラクロワ〜ゴーギャンまでの時代の画家たちをとりあげた岡谷公二さんの著書『絵画のなかの熱帯』は、当時のサロンやアカデミズムに違和感を感じた画家たちが、まだ見ぬ「南方」(それはゴッホにとっては日本だし、ゴーギャンにとってはマルティニーク島だった)に憧れを抱く姿を書いています。画家たちが書いた手紙が多く引用されているので、読んでいるとまだ美術界の周縁にいた若い画家たちの熱が伝わってきます。 彼らはその熱を保ったまま、本当に南方を訪れ、「まだ見ぬ地」「まだ見ぬ光」をキャンバスにぶつけていきました。それらの絵画がやがて既存の美術を揺るがすものにまでなりました。

しかし、ゴッホの「ひまわり」が58億円で落札されてから30年が経とうとしているここ日本では、相変わらず印象派の展覧会が人気を博しており、当時のメインストリームだったアカデミズムの画家の名前はほとんど聞く機会がありません。むしろそれは印象派の活躍を引き立たせるためのサイドストーリーのような扱いを受ければまだマシだという具合です。 当時のメインストリームが、今では誰からも語られないこと。ぼくはここにも「失われた場所」の気配を感じ取ってしまいます。

「ここ」も「そこ」も時間と記憶が重なり合って物語が生まれて、また時間と記憶を重ね合わせて添削、編集、更新がなされていって、またまたそれが...。

文章が長くなりすぎたので、本の紹介と感想はこの辺までにしておきます。

最後に、 ぼくは本を買うとき店員さんに「ブックカバーをおつけしますか?」と聞かれたら必ず「いいえ、そのままで。」と応えます。 電車の中でも街の中でも、ぼくの息づかいを誰かが拾ってくれる、そういう可能性は残したままにしたいです。

画像 『物語のかたち』 『風景と記憶』 『絵画のなかの熱帯』 『ユリイカ ー テレビドラマの脚本家たち』 『それでも町は廻っている』





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