遊びの記録⑥ 耳のきこえない

ぼくは、生まれつきの病気で、左耳の聴覚がほとんど無い。そのことがぼくに与えた影響は計り知れなくて、今年1月の展示の「細君の示唆」にもこのことがいくらか反映されている。

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この展示に出した絵は、(いつかちゃんと言葉にできたらとは思うが、)ぜんぶ当てずっぽうというかノリで描いているから、タイトルは後からつける。その中に、「目のみえない」という絵がある。この絵は見ていると、目のみえない人みたいなイメージがぼんやり浮かんでくる絵だ。それと「閉じ込めておけるもの」という絵(展示の時はまだタイトル未定だった)は、耳をふさいでいる人の絵で、この絵の制作中に、電車の中で耳をふさいで、「あーーー」とか言いながら歩き回る人が頭に浮かんだ。

この展示の前の数ヶ月はなぜだかそういった、何かが欠けていたり足りなかったりする人がよく絵に出てきた。

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左耳の聴こえない僕は、聴こえると聴こえないの間にいるような感覚がいつもどこかである。たとえば音楽を聴く時や、電車で左となりに友達が座ったときには聴こえない自分が顕在化してくるし、反対に、聴こえない人を見ると、自分は聴こえる人だという意識が強くなる。

ただ、ぼくのこうした病気(他にも色々病気持ちだ)は、両親のたいへんな尽力によって、ほとんど気にすることなく「普通に」生きいくこと"も”できた。そういう時間も、人生のなかに何割かはあった。そのため、ぼくは自分の病気の病名を知った(自覚した)のは大学生になってからだった。両親は日頃から「病気のぼくを」必死に心配してくれたし、また隠してくれもした。

病名こそ知ったのはだいぶ遅かったが、当然小学校は早退する、プールには入れないなどするから、病気を全く気にしないことは難しかった。だけど両親は子どものぼくが病気を気にすることのないように頑張っていてくれたから、それに気を使って僕も気にしないふりをしていた。

けど(けど、とかただ、が多い文章だ・・・。)、気にしないふりをしたぼくには当然”ふり”分のモヤモヤが残る。そのモヤモヤはどこに行くかというと、たまにテレビでやってる、難病の子どもや紛争地帯で暮らす子どものドキュメンタリーだった。テレビの中のこどもたちに、ぼくの心に起きていることと同じことが起こっているような気がしたからだ。母親はそういう類の番組になるとチャンネルを変えるけど、ぼくは違う部屋のテレビをつけて、それをかじるように見た。いつも真剣に見ていた。

そういう経験があってぼくは、気にしなくていいよって言われてることを気にしてしまうし、隠されているものを見たくなる。聴こえるぼくと聴こえないぼくを行ったり来たりしながら。

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話はだいぶ長くなったが、本の紹介。耳のきこえない人たちのことが書かれた本の話だ。

『手話を生きる―少数言語が多数派日本語と出会うところで』

著:斉藤道雄 みすず書房 2016年

【感想文】

僕が中高時代に毎朝通学で乗っていた電車には、補聴器をつけた3人組(男子2、女子1)の、僕と同い年くらいの子たちが一緒だった。

彼らはとんでもないスピードの手話でいつも楽しげに会話をしていて、ときおり僕らの日本語とは異なる音声の笑い声や怒鳴り声をあげていた。 彼らをそばで見ていることは、毎朝の楽しみだった。小さな幸せをいつももらっているような気がした。女の子の方が、やたらに片方の男子にちょっかいを出していて、「好きなのかな?」とか想像したりしていた。 この本を読んで、僕は上のような少年時代の記憶が蘇った。あの弾けるような手話の「無音の騒がしさ」。 「手話を生きる」は、僕らと違う「言語」で生きる人たちの、この世界を生き抜くための努力と、そこから見えてくる微かな希望を伝えてくれる。 まずはエピローグの「二つの世界」だけでも読んでほしい。 そこにはきっと、私たちの知らなかったきらびやかな世界が広がっている。

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